2017年10月30日月曜日

杉浦醫院四方山話―522『第6回・杉浦醫院院内コンサート』

 10月22日(日)に予定していました秋の院内コンサートは、台風に伴う大雨の為延期になりましたが、演奏者のご協力で11月19日(日)に延期開催出来ることになりました。

 

 杉浦醫院応接室には、昭和8年の今上天皇生誕を記念して、日本楽器(YAMAHA)が日本で100台限定で受注生産したと云うグランド・ピアノが設置されています。この100台のピアノは、太平洋戦争末期の本土空襲で大部分が焼失し、現在は日本に3台しか残っていないという大変貴重な文化財でもあります。  

 

 山梨県内での購入希望は、3姉妹の為にと三郎先生が1台だけだったことからニュースにもなり、それを知った親友の小野修先生が「お前は娘を歌唄いにする気か」と怒鳴り込んできたそうですから、このピアノには昭和初期の時代背景や硬派な医者の親交などから始まる多くの物語が内包されています。


 昭和10年前後に山梨の片田舎・西条村にもシャンデリアの下で、ピアノのレッスンを受けていた純子さん、郁子さん、三和子さんの3姉妹が居たことも特筆に値しますが、戦後、三郎先生に治療法を学びに来た米軍の軍医が戦時下でも持ち歩いていたという楽譜でこのピアノを弾いては、一緒に歌った思い出など今でも楽しそうに思い出しては語る純子さんです。

 

 東京に嫁いだ郁子さん、三和子さんのお子さんたちも夏休みには「西条」に滞在して、このピアノを毎日弾いていたそうで、「音大に進んだタカちゃんやヒロちゃんは、子どもの時から上手で、まあよく弾いていたよ」とか「患者さんがいっぱいいても診察室の隣で弾いてたから、先生も聴診器なんか聴こえなかったらね」と仕事に来ていた橋戸棟梁も懐かしそうに話してくれます。

 

 三郎先生が名付け親のお隣・正覚寺の敦子さんは、流れてくるピアノの音やメロディーを聴き、西洋音楽とヨーロッパに憧れたことが、現在のウイーンでの生活にも繋がっているそうで、帰国する度に純子さんにベートーベンやモーツアルトのCDセットをお土産に持参下さいます。

 

 このピアノの存在を知った静岡県富士市の調律家・辻村さんと臼間さんは、丸一日かけて永年眠っていたこのピアノを見事に復活させ、以後、遠路にもかかわらずお二人で毎年調律に来ていただいていますから、物語は現在も進行中と云えます。

 

 杉浦醫院「院内コンサート」は、このように歴史と物語に溢れた杉浦家のピアノを価値ある調度品として展示しておくだけでなく、80年以上の時を経ても十分演奏用としても使用可能である実態をコンサートを楽しみながら確認いただこうと4年前から始まりました。


 秋のコンサートは、特に「杉浦醫院のピアノとすごす午後のピアノコンサート」とピアニスト・佐藤恵美さんが命名くださいましたが、杉浦家と親戚にもなる佐藤さんは「このピアノに魅せられました」と初回から演奏いただいております。今回2回目の杉浦誠氏は、声楽家としてもご活躍ですが、現役の外科医でもある杉浦家の親族です。

 お二人は、それぞれ東京、静岡と県外でご活躍中ですが、杉浦醫院のピアノが取り持つ縁で、このコンサートが持続できるのも三郎先生が仕掛けてくれいたようにも感じ、矢張りコンダクターで主人公は、三郎先生という物語を伝承していきたいと思います。

 

 19日に延期開催となりました「杉浦醫院のピアノとすごす午後のピアノコンサート」へ新たに参加ご希望の方は、お早めに当館(275‐1400)までお申し込みください。