2015年8月20日木曜日

杉浦醫院四方山話―436 『求む!帽章付き学帽』

 私が小学生だった昭和30代にはありましたが、小学生の学帽が無くなったのは何時からなのでしょうか?

 

 日本では、歩道や信号整備が追い付かない状況で、急速なモーター社会に入りましたから交通事故が多発し、子どもを守る為に集団登校が始まったり、交通安全協会が新入生に黄色い帽子をプレゼントし出したのが学帽消滅につながったのでしょうか?

 

 夏の暑い時は、黒の学帽に白いキャップをかぶせて暑さ対策も講じていましたが、蒸れて健康管理上学帽は不潔とみなされての事かもしれません。

しかし、学習院だとか慶應と云ったお受験小学生は、未だ学帽を被っているようですから確かなことは分かりません。

 

 現在、昭和町内の町立学校は4校ですが、学帽が存在した時代からあるのは押原小学校と押原中学校でしょうから、ホタルの帽章が付いた学帽は、今となっては貴重です。

 
 

 今年の「ホタル夜会」では、浅川武男愛護会会長が押原小学校の学帽を被って主催者挨拶をしました。押小に一つだけ保存されている学帽だそうですが、卒業生だけあってお似合いですね。

  町内4校の徽章は全て町のシンボル源氏ホタルがモチーフですが、学帽が消え、学校のシンボル・徽章も子どもたちにはあまり愛着が無くなったようにも感じます。

 
 

 押原小学校、押原中学校をご卒業された方で、この「ホタルの帽章学帽」をお持ちの方がいましたら、ぜひ当館に展示させてください。

また、「学帽」そのものも貴重になりましたから、ホタルの帽章に限らず、高校、大学のものまで家に眠っている「学帽」がありましたらご協力ください。