2015年7月26日日曜日

杉浦醫院四方山話―431『信州大学医学部・松医会報』

  「松医会」とは、信州大学医学部の同窓会の名前ですが、信州大学医学部は、松本医学専門学校から松本医科大学を経て現在に至っていますから、「松本の医学の会」の略でもあるのでしょう。


 その「松医会」の平成19年秋号の会報は、特集「日本住血吸虫症」で、当館に資料をお寄せいただいている林正高先生や加茂悦爾先生など日本の地方病研究と治療に係った先生方の原稿で構成されています。山梨県に医学部の無い時代が長かったことから、甲府市立病院はじめお隣の信州大学医学部の卒業生が山梨の病院に赴任し、風土病であった地方病に真摯に向き合った結果でもあるのでしょう。

 

  会報という性格もあり、専門用語の論文ではなく医師の随筆と云った感じですから大変読みやすいのが特徴ですが、地方病と格闘してきた信州大学卒の医師の姿が浮き彫りにされていて、当館にとっては貴重な文献資料でもあります。

 信州大学を卒業され、山梨の病院に赴任した井内正彦氏は、松本医学専門学校3期卒、加茂悦爾氏は信州大学医学部2期、林正高氏は信州大学医学部8期の卒業で、当時の山梨医大の寄生虫教室の教授・中島康彦氏も松本医学専門学校の卒業ですから、昭和40年代から山梨県内で地方病の治療と研究を担ってきたのは、信州大学医学部の方々だったと云っても過言ではありません。だからこそ、「松医会報」でも「日本住血吸虫症」の特集を編んだのでしょう。

 この特集の中で、林先生は甲府市立病院の先輩医師でもあった井内正彦氏の業績について書かれ、「井内先生は現役退任を機にご自分の著した論文すべてを一冊に綴じられ、その分厚さ7~8CM位の手製の業績集を山梨医大寄生虫学の中島康彦教授に寄贈された。この一冊しかない貴重品は現在行方不明である。」と、井内先生の地方病研究の論文業績集の行方を案じ、当館や県立博物館にも井内データ保存の為の行方探しを呼びかけていただきました。

 
 

 その結果、井内氏から寄贈された業績集を中島教授が山梨医大退任の折、東京医科歯科大学の太田伸生教授に預けたとの話から、太田先生に確認すると「中島先生から引き継いで、私の研究室にありますから、必要でしたら移管します」まで行き着きましたが、太田先生が引き継いだ井内データが、林先生が探しているものなのかどうかは、現在の所不明です。

 
 

 この太田先生も信州大学医学部卒業ですから、日本住血吸虫症の研究は、脈々と信州大学医学部出身者に引き継がれて、継続されているのが「松医会会報」で分かりました。