2015年6月1日月曜日

杉浦醫院四方山話―423『大岡昇平「レイテ戦記」と補遺ー2』

 林正高先生は、前話で紹介した大岡昇平の『日本住血吸虫ー「レイテ戦記」補遺Ⅱ』が掲載された中央公論の文献と共に「山梨県医師会報」に連載された有泉信先生の「地方病とレイテ島」のコピーも一緒に送付くださいました。


 有泉先生のこの文献と大岡氏の「補遺」を読み比べることで、有泉先生の医師としての姿勢や正確な記述が、相対的に大岡氏の御歳と「補遺」の祖雑さを浮き彫りにしているように私には読めました。



 それは、大岡氏の「補遺」には、少なくない誤記が散見され、林先生の訂正文字が随所にあることでも分かりますが、中央公論に発表された後、林先生は中央公論編集局長と大岡原稿の誤記の訂正方法について協議したそうですが、結局はそのままになってしまったようで、「大岡氏のためにも残念な一文となりました」と、林先生も悔いています。


 筑摩書房から出ている全24巻「大岡昇平全集」の第23巻は、「雑纂・補遺・資料」ですから、多分、誤記の多い、林先生が悔やむ「大岡氏のためにも残念な一文」が、そのまま収められているのでしょう。



 林先生は大岡氏に、「日本住血吸虫病の濃厚な有病地帯であったレイテ島に昭和19年10月20日に上陸した米軍は、その水田地帯で日本軍と激戦を交えたことで、約1700名の米兵に地方病の感染者を出した」旨、「レイテ戦記」に記述されているが、「米兵にそれだけの感染者が出ているなら日本兵にもかなり出ているはずで、日本兵の感染者に触れていないのはアンバランスではないか?」という指摘を届けました。

それに対して、大岡氏も林先生の指摘を認め「書き落としたままではうまくない。私は7~8月中に甲府へ行って、古守先生、林先生に話をうかがわなければならない、と思った」と、「補遺」執筆に至った経緯も記述されています。



 詳細は、全集または来館いただいてお読みいただけたらと思いますが、この「補遺」発表の翌年、大岡氏は亡くなっていますから、ライフワークともいうべき「レイテ戦記」の完全性を求めて、広辞苑や医学大辞典での下調べのうえ「歩行失調」「難聴」をおして、林先生への取材のため「甲府行き」を敢行した、一種の紀行文のように私には読めました。



 そういう意味でも林先生からご寄贈いただいた「補遺Ⅱ」コピーには、大岡氏の誤記に林先生自らが訂正した正記が入っていますから、全集で誤記のまま読むより、当館の林先生文献で読んだ方が良いでしょうし、何より一緒に有泉信先生の「地方病とレイテ島」を併読することで、より一層正確な「レイテ戦」理解に繋がるものと思います。

 貴重な情報の詰まった文献を送付くださった林正高先生には、重ね重ね厚く御礼申し上げます。