2015年4月2日木曜日

杉浦醫院四方山話―409 『老人と桜』

 昨日、庭園で西条新田地区いきがいクラブ主催の「観桜会」が開催されました。

 

 隣の正覚寺の桜も満開で、杉浦醫院の一本の桜の下に集い、正覚寺の桜も観賞すると云う企画でした。早めに開催日を設定して満開を逃した昨年の反省から、桜の満開に合わせて開催日を決めたという知恵は流石で、天気も「花曇り」と花を添えた感もしました。



 約30人の皆さんが、ボランティアの方々が用意したお茶菓子や料理を食べながら、時折みんなで懐かしい唱歌を静かに歌ったり、頭の体操などを楽しんでいました。



   「いきがいクラブ」は、「老人クラブ」の別称のように近年「老人」は避けられる単語になっているようです。

 ヘミングウェイの名作「老人と海」に代表されるように間違いなく歳を重ねて放つ味や重みと云った渋さは、「老人」でなければ醸せないものがあります。そんな意味でも個人的には「老人」と云う言葉は嫌いではなく、むしろ「いきがい」なんて云う冠は失礼のようにも思います。

 

 例えば、今回の「お花見会」も短い人間の一生の中で、年にただ一度巡ってくるこの桜の季節に「自分はもうそう長くないだろう」というような思いを持った方が、今咲き誇る桜を愛でながら来年の自身について思いを馳せると云う事は、どれ程に重い事だろうか?と・・・遅まきながら感じ入るようになりました。


 そんなことを感じながら綺麗に咲いた桜を見上げると桜も自分をダシにドンちゃん騒ぎを楽しむ若者より、老人の方々に観てほしいと咲いているように思えてきました。