2014年11月13日木曜日

杉浦醫院四方山話―378『伝染病と感染症』

  「うつる」病気の総称を感染症というのでしょうが、正確には、環境中[大気、水、土壌、動物、人など]に存在する病原性の微生物が、人の体内に侵入することで引き起こす疾患を感染症と云うようです。

  ヒトスジシマカが媒介する「デング熱」騒動がおさまったかと思ったら、「急速に感染者数を拡大している」と、今度は「エボラ出血熱」が、前例のない大流行であると報じられ、感染症が人々を不安に陥れていると言っても過言ではありません。


 過度?に衛生的な無菌、無臭社会が構築された現代社会ですが、約50年前の昭和36年の山梨県の感染症の統計を高橋積さんが提供してくれましたので、感染症への対応を考えたり、半世紀前の山梨を知る上でもご紹介しておきたいと思います。

 

 1998年(平成10年)までは「伝染病予防法」があり、赤痢(せきり)や疫痢(えきり)のほか腸チフス・パラチフス・ジフテリア・猩紅熱・ポリオ・日本脳炎などが「法定伝染病」として指定されていました。

すっかり聞かなくなった「赤痢(せきり)」と「疫痢(えきり)」は、赤痢菌が腸に感染することが原因で起こる感染症ですが、NHKの「花子とアン」でも花子の子は疫痢で亡くなったストーリーだったように一般的でした。大腸の赤痢が重くなって小腸にまで回ったものを疫痢とする分かりやすい分類もありますが、医学的に正しいのかは分かりません。

 

 この「赤痢」「疫痢」の昭和36年の山梨県の発生数は994例と1000人近くが感染し、疫痢で一人が死亡しています。この年の山梨県の「法定伝染病」の発生数は、赤痢を筆頭に合計1113例で、疫痢とジフテリアで、二人が亡くなっています。

 

 また、県民のカイチュウをはじめとする寄生虫の卵の保卵率も29%あり、「ムシクダシ」はポピュラーな日常薬でもありましたが、寄生虫対策が始まった昭和26年の寄生虫卵の有卵率は、95,8パーセントですから、県民のほとんどがカイチュウ等の寄生虫と共生していたことが分かります。学校での「検便」などの徹底で、10年後には29%へと激減し、現在では1%前後のようです。


 寄生虫病も感染症ですから、旧法定伝染病も含めると昭和36年当時の県内の患者数は、相当数になることが分かります。それらの反映として、昭和26年の日本人の平均寿命は、男60,8歳、女64,9歳、昭和36年には、男66,3歳、女70,79歳と推移して、現在に至っています。

 

 「伝染病」と云う言葉は「うつるんです」と、端的でいいと思うのですが、曖昧にボカスのが流行りなのでしょうか「感染症」に置き換わって、「伝染病」は物言わぬ動物、家畜に特化して「家畜伝染病予防法」として残っているのも不思議ですが、周りに感染者が多数いた半世紀前は、ニュースになることもありませんでした。

無菌清潔社会は、感染症の発症をニュース的価値にまで高めたことにもなりますが、それは「先進国」と呼ばれる国々のことである事実も見落としてはいけないことを統計は物語っているようです。