2013年10月31日木曜日

 杉浦醫院四方山話―286 『トモエソース-3』

 主に野菜や穀類などで、「地産地消」と云う言葉を近年よく耳にしますが、流通が現在のように発達する前は、豆腐や酒、味噌、醤油、ソースも「地産地消」が当たり前だったことを「トモエソース」の空き瓶が、あらためて教えてくれました。

 現存するトモエソースを購入すべく、青沼通りの「清水酒販」に行ってきました。写真右のウスターソースと左の中濃ソースが市販されていて、一般的な中濃ソースが人気で、現在も固定客が求めに来るそうです。

 電話に出てくださった店主と奥さんに持参した杉浦醫院納屋にあったトモエソースの空瓶を見せると「懐かしいねー。こんな税金まで表示していたんだ。でもこの瓶は、私の記憶にもないラベルだからかなり古いモノですよ」と、トモエソースの歴史や全盛時代の話をしてくださいました。
「おじいさんは、イカリソースで修業して深町で創業しました。当時は、県内にもソースを製造していた会社が7社ありましたから激戦で、うちは、大きなソース瓶の模型を載せた宣伝カーで県内を回りました」                 「私も助手席でウグイス嬢のようにトモエソース、トモエソースと連呼しました。車に子どもが集まるようにアメを用意しておいて、集まった子どもに配ったりもしましたね」
「ホーローの看板も作って、板塀などのお宅にお願いして釘で打って回りました」
「そのホーローの看板が、東京の古物商で1万円以上で売っていますよ」
「へぇー。まだ倉庫にあるかもしれないので、今度探してあったらお持ちしましょう」
「全盛期には県内だけでなく長野県も奥の大町や飯田まで、静岡の清水あたりまで卸していました。だんだん地ソースを扱っていた食料品店や酒屋さん、肉屋さんがなくなって、最後はトモエソースだけになりました。深町で昭和50年代まで造っていましたが、環境問題で工場をつぶして、兄がガソリンスタンドを始め、ウチがトモエソースを引き継いだ訳ですが、指名して買いに来てくれるお客さんがいるので続けてきました」と・・・・
昭和町に「イオンモール甲府昭和」が計画された時、イオンはこのモール店の商圏を山梨県内のみならず長野や静岡も視野に入れていると云った報道を目にした記憶がありますが、トモエソースの商圏は、イオンモールの想定商圏を席巻していた大先輩であることも知りました。

 清水ご夫妻は、既に当館にも来館いただいていて、「素晴らしい庭と建物を見せていただいて良かったので、先日は市川大門の栴檀の酒蔵の跡も見てきました」と云う「温故知新」のご夫妻で、お忙しい中でも歓迎していただき、大変お世話になりました。
「清水酒販」は、酒屋さんですから、店内のメイン商品は酒で、壁一面の大型冷蔵ケースには日本酒の一升瓶、それも全国の名酒がずっらと並んでいて、思わず「いい酒を揃えていますねー」と横道にそれ出しましたが、すぐ目に入った「雪中梅」をソースと共に購入して、ご機嫌で店を後にしました。