2013年10月17日木曜日

杉浦醫院四方山話―283 『史蹟名勝天然紀念物-2』

 大正8年6月に施行された「史名勝天然念物保存法」で、鎌田川の源氏ホタルは国の指定を受けた訳ですが、白鷺城や会津城なども同じ「史名勝天然念物・白鷺城」で、こちらは、「史蹟」としての指定理由だったのでしょう。城や古墳、寺社から源氏ホタルまで一括りにした「史蹟名勝天然紀念物保存法」は、時代推移の中で不備が目立つようになり、特に1949年(昭和24年)の法隆寺金堂の炎上による壁画焼失を契機に、文化財保護行政の充実強化が求められ、1950年(昭和25年)に「文化財保護法」が成立し、「史蹟名勝天然紀念物保存法」は廃止されたました。 鎌田川の源氏ホタルが、天然念物の指定解除になったのは昭和51年ですから、昭和25年の文化財保護法成立後も旧法の指定は、継続されていたことが分かります。
文部大臣・鳩山一郎殿に申請した「源氏蛍発生地」の整備計画図
   この新しい法律では、「史蹟名勝天然紀念物」を「文化財」と云う用語にし、新たに埋蔵文化財も含めるなど保護の対象を広げると共に保存や公開、それに対する補助金なども定め、その都度見直しを図り、現代に至っています。
  この「文化財保護法」への改変過程で、鎌田川の源氏ホタルなど「天然(自然)記念物」を文化財に含めることについても検討され、諸外国では少ないことから、1971年(昭和46年)に環境庁(現・環境省)が発足した際、環境行政の一環として天然記念物保護を行おうという動きもありましたが、結局、文部科学省の外局である文化庁が、登録文化財の一環として担当しています。
 
 昨年8月に当館内の建造物5件が、国の「登録有形文化財」に指定されましたが、この登録有形文化財制度も当初は「建造物」だけに限られていました。2004年の法改正で、建造物以外の有形文化財についても登録対象となり、有形民俗文化財や記念物についても「登録制度」が導入されましたから、昭和町の源氏ホタルが至る所で自生し、復活すれば、「登録記念物・昭和町源氏ホタル」として、再度、国指定も可能になります。「史蹟名勝天然紀念物保存法」の制定、「文化財保護法」への改定に共通する背景は、経済発展を最優先し、それを阻害するものは古くさいものとして失ってきたと云う深い反省によるものですから、都市化の進む昭和町の源氏ホタルは、二重の意味で価値もあります。
                                      現在では、棚田をはじめとする「景観」も文化財として位置付けるなど、自然とそこで生活した人間の文化は密接な関係があり、ともに守るべきものであるという考え方が世界標準にもなっています。1972年には「世界遺産条約」が結ばれ、日本も20年後の1992年にこの条約を批准した結果、今年、富士山が世界文化遺産に登録されました。
これは、景観に加え環境や信仰、芸術など自然と人間が創造した文化も保護の対象になっていますから、あらためて、昭和初頭の国の天然記念物指定から今日まで、昭和町の源氏ホタルは、町のシンボル、象徴として町民に周知され、引き継がれてきていると云う足元の風土に眼を向けてみる必要性を再認識しました。