2013年7月8日月曜日

杉浦醫院四方山話―253 『三神三朗氏ー1』

 先日、「日本住血吸虫を発見した三神医院を訪ね、農地解放の地大里を歩く」と云うフットパスが、NPOつなぐの主催でありました。杉浦健造・三郎父子を顕彰していく杉浦醫院ですが、地方病終息の歴史を伝えていく地方病資料館でもありますから、県内外の先駆者や取り組み、映像資料や関連施設、企画展なども紹介してきました。
 前から、「一度お伺いして・・」と気になっていたのが、今回の三神医院と三神三朗氏でした。三神脳外科内科医院として現在も開院中ですから、こちらの都合でお邪魔することに二の足を踏んでいた所でしたが、つなぐの山本育夫氏の計らいで実現しました。

  • 現医院長・三神柏先生
   この日、診察の間をぬって、三神柏医院長が案内と解説をしてくださいましたが、名医の誉れ高い先生のお話は、孫から観た三朗氏の全貌を的確かつ大変控え目に教えていただき、三神家および先生の在り様やお人柄にも触れる機会ともなり感動しました。
  • 「祖父は、さろうでなくさろうと称していました」
  • 「生まれは、石和町でしたが、明治の大洪水で家屋敷が流され、兄弟全員が婿に出ましたが、医者になっていた三朗がここに婿入りして開業しました。ですから医院は祖父と父、私で3代目になります」             
  • 「三神家はこの辺の大地主と云うより、いわゆる親分・子分の関係のあった時代の親分さんという程度の家でした」 
  • 「日本住血吸虫の虫体を祖父が発見したと云われていますが、岡山医専の桂田富士郎先生のお手伝いをした程度だと申していましたし、当時24歳ですから私も助手としてかかわったのだと思います」
  • 「桂田先生は、人体の解剖を望んで来ましたが、あの時代ですから、なかなか人間の腹を開けてと云う訳にいかず、祖父が飼っていた姫と云う名の猫が、昼はその辺の田んぼで遊んでいましたから地方病になっているだろうと、これを解剖することになり、病院や自宅では人目もあり、当時この辺にあった納屋で、隠れるように解剖したそうです」
  • 「それでも生きていた猫を解剖したということで、周りでは必ずタタリがあると噂され、三朗の長男、次男が相次いで結核でなくなると猫のタタリだともっぱらの噂だったようです」
  • 「杉浦さんの所のように公的施設ではありませんし、代々、患者は診ても蔵は建てるなと云った家風で、このように荒れ放題の家屋敷です」・・・等々

敷地内を案内いただきながら、貴重なお話の連続でしたので、この日の三神先生のお話に即して、三神三朗氏について、詳細を連載していきます。