2013年6月18日火曜日

杉浦醫院四方山話―246 『おへっつい』

 前話で、杉浦家母屋の台所について純子さんの話を基に紹介しましたが、話の流れで勝手な単語で書いてしまった個所が気になり、「お勝手の真ん中にあった釜戸のことを何て言いましたっけ?」と、今朝尋ねてみると「私たちは<おへっつい>と呼んでいましたが、<くど>とも言いましたね」と。

 
「くど」は確かに聞いたことのある言葉でしたが「おへっつい」は、初めての言葉だったので、さっそく調べてみると「深川江戸資料館」の解説書に写真入りで「へっつい」の説明がありましたので、転載させていただきます。

土間には「へっつい」。煮炊きは薪を使っていました。鍋や釜があり、そばには渋団扇に火吹竹もあります。魚を焼く時は「七輪」を表に出して焼いたようです。

へっついのほかには、 流しがあり、そこには包丁、まな板、桶などがあり、その横には水瓶が置いてあります。
この写真には写っていませんが、横の棚にはざるが数種類そしてすり鉢、すりこ木、味噌こし、味噌、醤油、塩などを入れておく壷や鉢が乗っています。また、紺木綿をわらにまぜて編んだ鍋つかみは常時へっつい側に掛けてあったそうです。

飲料水は各家の水瓶に汲み置きしておきました。場所によっては水質が悪く、飲料水として井戸の水が使えない場合もあり、そういう所では水売りが、天秤棒に玉川上水あたりの水を入れた桶をかついで町々を売りに歩きました。
魚や野菜の下ごしらえ、また洗い物等は井戸端で行いました。ここは女房達の社交場、井戸端会議は毎日開催されました。

 
「くど」は、カマドの後部に位置する煙の排出部を意味したそうですが、京都では、カマドそのものを意味し、「おくどさん」と呼び、山陰地方では、煮炊きの設備を「かまど」、空間そのものを「くど」と呼んで区別していた地域もあったそうです。

 純子さんは、丁寧語のおを付けて「おへっつい」と呼んでいますから「おくどさん」と呼んでいた京言葉につながります。「へっつい」と「くど」の解説写真を観ると共にカマドは2つですから、これが一般的だったのでしょう。また、釜戸・かまど・カマドとバラバラな表記も正確には「竈(かまど)」であることも学習しました。

 前話では、杉浦家の台所が特に広い訳ではなかったかのようなニュアンスの文章になっていますが、あらためて、中央にカマド3つのおへっついで、流し一帯もずっと広い訳で、明治中頃に井戸の近くにこれだけの台所を造った杉浦家は、食客が多いことを前提だったのかも知れません。