2013年4月18日木曜日

杉浦醫院四方山話―228 『留守ノート3・杉浦医院照明器具-番外編』

昭和4年に新築された杉浦医院内に残る当時からの照明器具をH・P閉鎖前、順次紹介してきましたが、今回、番外編として、それ以降の照明器具をご紹介します。
 
この外灯は、昭和10年前後にいち早く自家用車・ダットサンを購入した三郎先生が、土蔵横に建てた車庫入口に残る外灯です。70年以上の風雪に耐えてきた存在感がありますが、このシンプルなアーム型の外灯は実用性にも優れていたのでしょう、昭和40年頃までは、街々の電柱にもこれと同じアーム型外灯が灯っていました。今となっては滝田ゆうの漫画でお目にかかれるくらいで、貴重なブリキ笠外灯ですが、この後、蛍光等がスッと伸びた当時としてはモダンな、でも温かみの薄れた外灯に取って代わられた記憶があります。


このシャンデリアは、応接室の照明です。昭和8年に皇太子生誕記念で発売されたヤマハグランドピアノを購入した三郎先生は、このピアノを応接室に入れました。
それまでは、診察室と同じ形状の丸い照明が付いていたと純子さんが記憶していますので、ピアノに合わせてシャンデリアに交換されたのでしょう。

昭和の初期に板張りの洋室にシャンデリアが灯り、その下でグランドピアノを弾く純子さん達三姉妹は、間違いなく近寄りがたい「お嬢様」で、「高嶺の花」だったことでしょうが、そんな話や素振りを微塵も見せない有り様は、「ローマは一日にして成らず」の至言どおりです。

最後は、院内廊下の照明です。病院棟は、「出来るだけ当時のままの現物、実物をそのまま見ていただくこと」を方針に整備しましたが、見学者の足元の安全も考慮すると廊下には新たな照明設置が必要になりました。

「昔からあったようなレトロ照明で違和感のないモノ」で、選んだのがご覧の白熱電球照明です。
次々と生産が中止されて行く白熱電球ですが、エジソンの発明した白熱電球は、「世界から夜を消した」功績のみならず、蛍光灯やLEDには無い、温もりのある消しがたい照明です

 1月から6回にわたり、杉浦医院内に残る照明器具を紹介してきました。現在では貴重なアンティーク照明でもありますが、純子さんは常々「父は新しい物好きでした」と三郎先生を評していますから、昭和4年当時は、全て最先端のモダンな照明器具だったのでしょう。

 懐かしいのにどこか新鮮な味わいがあり、古風な中に近未来を思わせる洗練された意匠が感じられるものを「レトロモダン」とも言いますから、杉浦家が選択、保存してきたものは、共通してこの「レトロモダン」の意匠で統一されているように思います。