2012年12月9日日曜日

杉浦醫院四方山話―203 『床框(とこかまち)』

 土蔵の改修工事が進み、全体の概容が見えてくると完成後の活用方法も具体的になってきます。すると当初の図面での設計計画に変更や追加をお願いしたくなり、毎週水曜日に行われる工程会議で、毎回のように薬袋建築士と笹本社長に無理をお願いしてきました。
 その一つが、一階和室への床の間設置です。改修前の状態に復元するのが基本設計ですが、耐震基準をクリアする為の改修でもありますから、北側から南に向けて新たに補強壁が入りました。畳八枚のシンプルな和室でしたが、補強壁が入ったことで二畳分が分かれた構造になりました。「清韻亭茶会」の計画中でもあったことから、折角の和室復元なので、お茶会にも使えると…と云った話もあり、補強壁を活かして「床の間を」と提案しました。
 限られた予算の工事ですから、新たな追加は厳しいことは承知していますが、薬袋建築士も笹本社長も真摯に聞いて、対応してくれるので助かります。
 結果、ご覧のような床の間が付くことになりました。床の間にわたす化粧横木を「床かまち」と云うそうですが、この床かまちは、欅の無垢材で、現在は、傷つけないようにシートで保護されていますが、完成した暁には詳細写真で報告いたします。
「床柱やまく板も見劣りしない木でないと」と、木への笹本社長のこだわりは高く、立派な床の間になりそうです。この欅の床かまちには、私には面白い「物語」が内包されていましたので、ご紹介します。
 
 笹本社長夫妻は増穂町青柳の出身で、増穂の地酒「春鶯囀」の萬屋酒造店とも親戚だそうですが、青柳には、知る人ぞ知る日本の名酒『冨水』がありました。醸造元の秋山酒造は、秋山銀行を開いた秋山源兵衛の分家で、創業は大正3年(1914)です。創業以来、防腐剤を使用しない日本酒造りの技術を開発し、現在では当たり前になった防腐剤・サリチル酸無使用日本酒の元祖でもあります。この蔵元の長男は、岩波新書『日本酒』の著書でも著名な前国税庁醸造試験所長の秋山裕一農学博士です。博士は、泡無し酵母の実用化など画期的な醸造技術を開発した醸造業界のカリスマ的存在で、泡無し酵母の『富水』を10年の歳月を要して商品化しました。この『富水制天下』(冨水天下を制す)と命名された純米酒は、1979年6月に開催された「東京サミット」で、乾杯に使われた日本酒としてあまりにも有名ですが、残念なことに現在は酒造業は廃業し、当時の工場や家屋も取り壊されています。秋山家とも親戚だった縁で笹本社長に引き取られた秋山家の「床かまち」が、今回、杉浦家土蔵に新設された床の間に鎮座したと云う訳です。これは、笹本社長が温めてきた特別な銘木が「所」を得て、材木的価値のみならず、富水や秋山博士と共に「甲州日本酒物語」としても語り継いでいける資料的、歴史的価値もある床框ということで、うれしい限りです。