2012年12月8日土曜日

杉浦醫院四方山話―202 『一升瓶』

 土蔵の改修工事も順調に進んでいますが、階段下にあった隠し倉庫?の床下から一升瓶等のビン類が出てきました。現在よく目にする瓶とは若干違った形で、全て青系の半透明な瓶です。「もう珍しいこんな色の瓶は、捨てるには惜しいと思うから、お茶会の参加者で欲しい人がいたら持って行ってもらったら」と工事関係者も気を使ってくれましたが・・・ご覧のとおり全て残っています。

 土蔵の和室は、住み込みで働いていた男性の住居だったそうですから、瓶の形やキャップから一升瓶とワインボトルだったのではないでしょうか。勝手に推測すれば、部屋に戻った彼の一日の閉めはアルコールだったのでしょう。しっかり飲んでぐっすり眠る生活習慣が彼を支え、明日への活力となっていたのでしょう。しかし、飲酒の常習に後ろめたさを感じていた彼は、空瓶の処置に一計を案じ、倉庫の床下に詰め込む策を重ねてきたのでしょう。今回の耐震化工事で、床下全面に鉄筋コンクリートを打つことから、発見されてしまった訳で、何だか申し訳ない気もしますが・・・

 ガラス瓶は、日本では明治19年頃から、人が瓶を吹いて作る一升入りの瓶が日本酒向けに製造されはじめ、明治32年に卜部兵吉が江井ヶ嶋酒造に併設したガラス工場で一升瓶を生産し、ビン入りの清酒を業界に先駆けて発売したそうです。ガラスは通気性がないので賞味期限を長く保つ保存性や密封性に優れており、空き瓶は洗浄して再利用できることから、大きさや形を規格化することで酒の銘柄が違ってもラベルの交換だけで対処できるよう図って今日まで汎用してきています。こうしてみるとガラス瓶は、日本酒と共に発達し、しょうゆ、酢など多くの食品容器として使用されてきた百年を超える歴史があることが分かります。
瓶の色も用途によって変遷し、日本酒や薬など日光などにより変質し易いものは濃い茶色、食用油などには淡い青の透明瓶が一般的に用いられてきたそうですから、杉浦家の食用油瓶だった可能性もあり、私の推測で、彼を勝手に酒飲みに仕立て上げたのは、酒飲みの邪推で、彼にはおおいに迷惑だったかも知れません。そんな訳で、ご覧のように栓を被せて封をする青い瓶、必要な方は引き取りにどうぞ。