2012年9月15日土曜日

杉浦醫院四方山話―178 『落葉をまく庭―庭園清掃雑感1―』

 自分は全くしないのですが、散歩や山登りをする人の話で興味深かったのは、歩きながら昇り降りしながら「考え事をしながらが多い」という話でした。「考え事」は、傍からは分かりませんから自由に勝手な自分の世界で遊べる想像遊戯でもあり、それを聞いてから歩いている人を見ると「今、新たな恋愛についてどうしようか考えているんだな」「今の男からどうしたら自由になれるか考察中だな」と、こちらも勝手に「考える」ことが出来て、人生が少し面白くなりました。(大袈裟か?)             
 同じように私も能動的な訳ではありませんが「考え事」をしている自分に気付くことがあります。それは、毎朝の庭掃除の時、箒を動かしながら、雑草を抜きながら、水撒きをしながらふと思い出したり、急に詳細を調べたくなったり、会ってみたくなったり・・・様々な「思い」程度の「考え事」が彷彿します。
今週は、やはり秋なのか落葉が多くなってきて、落葉掃きに励みましたが、ふと「落葉をまく庭」を思い出し、「そうだ満遍無く掃く必要もないな」の結論に達しました。「落葉をまく庭」は、日本のプロレタリア小説の最高峰と私が勝手に評価している手塚英孝の小説です。「落葉をまく庭」は、皇居の落葉清掃に全国から動員された愛国婦人会(勤労奉仕団だったか)の方々が一枚残らずきれいに清掃し終わると宮内庁職員が出て来て、その中から綺麗な落葉を選ぶよう命じ、天皇の好みに合うように綺麗な葉っぱをもう一度「自然な感じ」に庭にまき直すという話です。まあ、天皇に限らず、ハラハラと好い感じに落葉が散在しているのも秋の庭の風情ですから、最初から「綺麗な落葉は残して掃いて下さい」が真っ当だと、比較的汚い葉っぱを掃く省エネ清掃に思い至った訳です。
 手塚英孝は山口県の代々続く医師の長男として生まれましたが作家となり、日本のプロレタリア文学の興隆活動に専念しました。特に小林多喜二研究に打ち込むとともに、宮本顕治・百合子夫妻に全面協力し、自分たちの運動の仲間や家族を蔭から支える活動を続けた寡作の作家でしたが、この『落葉をまく庭』で第5回多喜二・百合子賞を受賞しました。
山口県文化振興課のホームページ上に「ふるさとの文学者63人のプロフィール」があり、顔写真と生家を初めて知りました。「仲間や家族を蔭から支える活動を続けた」というプロフィールにふさわしい顔つきと杉浦医院と重なる生家に未読の「父の上京」を今晩読んでみたくなりました。要するに、散歩とか山登りとか清掃作業は、単純動作の繰り返しですから、私のような小さな脳でもそれに耐えきれず、自然にその人なりの「考え事」を脳が始めるのか?と・・・