2012年9月12日水曜日

杉浦醫院四方山話―176 『義清神社と長田鉄男氏』

 西条二区の住民有志で組織されている「義清神社を守る会」は、清掃活動から研究、交流活動まで幅広い地道な活動を継続しています。義清神社の見学者や参拝者に、守る会で「パンフレット」を作成して配布しようと計画し、より正確な記載内容をと数か所について、教育委員会や当館に照会がありました。
 そこで、義清神社の神主は、代々山本家が世襲で努めてきたことを聞いていましたので、町指定文化財山本忠告の墓のある三井さん宅に確認に伺いました。
 三井さんは、東京武蔵野市の杉浦三郎先生名義の家を購入したと云う杉浦家の縁者でもあり、山本忠告や山本節など山本家の人々の資料の整理もしようと、最近、武蔵野市から昭和町に転入されました。山本家の資料がたくさん残る和室で、「守る会」からの質問事項を告げ、その関係書類や掛け軸等をお借りしましたが、「これ持ってる?」と三冊の手書き冊子も見せてくれました。「長田鉄男さんは、亡くなりましたが、よく母を訪ねてきては、義清神社や山本家のことを調べていたそうです」と教えてくれました。長田さんは公民館で開催した歴史関係の教室やフィールドワークにも参加していましたので、私も面識はありましたが、この冊子のある事は知りませんでした。
 写真左の「源義清公」は、昭和60年1月発行で、「盆地を守り住民を救うため、洪水による危険地帯である西条に館を移してまで洪水防止に尽くされた義清は、本当に偉大な人であった」とあとがきに記しているように義清と釜無川築堤工事にスポットを当てた内容です。
 写真右の「西条館と義清神社」は、翌年の12月発行ですから、昭和60年61年は、長田氏が義清研究に一番熱が入った時期だったのでしょう。この冊子は義清遺跡地の発掘調査に「義清公に強い関心をもつ私もこの嬉しい調査に襟を正して参加しました」とまえがきにあるように発掘調査の私的報告書と云った形で、長田氏の推論も入り、身近な義清神社を興味深く読みやすい内容で伝えています。
 写真中央の「義清神社」は、長田氏が郷土研究部の講師をしていた平成元年に広報しょうわ誌上で、6回シリーズで掲載されたものを一冊にまとめたものです。 
 地元西条二区の義清神社と義清公の研究に退職後の時間を注ぎ込んだ長田氏の情熱が伝わる手書き冊子は、三井家で大切に保存されていましたので、お借りして必要な方にはコピー頒布が可能になりました。問い合わせ、申し込みは当館(275-1400)までどうぞ。