2012年2月21日火曜日

杉浦醫院四方山話―117『彫刻家・笹野恵三氏』

 杉浦医院応接室には、杉浦健造先生のブロンズ胸像があり、対面するようにビーナスのような石膏の彫刻が同じ木製の台座にあります。この全く対照的な二つの立体作品は、同じ彫刻家の作品であることが分かりました。
 昭和9年に石原国吉氏が編集委員長を務めて編まれた「杉浦健造先生頌徳誌」は、約100ページに及ぶ健造先生と杉浦家の功績や人となり等を網羅した本ですが、健造先生形像建設(頌徳碑)までの経過についても記されています。
 形像制作は、各地の碑や胸像を見学した建設委員諸氏の協議で「東京美術学校を卒へ数度帝展に入選し新進芸術家たる東京市瀧野川区中里町 笹野恵三氏に依嘱し」とあります。
 この笹野氏は、神奈川県相模原市の笹野一族と呼ばれた素封家の生まれで、現在も「笹野家の長屋門」は、相模原市の登録有形文化財に指定され保存されています。
また、笹野恵三氏の東京美学校(現東京芸術大学)卒業作品「川底」は、全高108cmの木彫作品で、東京芸術大学収蔵作品として母校に残されているそうです。代表作には、相模原市・梅宗寺の南山禅師顕彰碑にある南山禅師のブロンズ像などがありますが、写真で見る限り健造先生のブロンズ像の方が大きさも精巧さも勝っているように思いますが、笹野家の方々も戦争中の金属供出令で多くのブロンズ像が消えましたから、笹野恵三氏の製作したブロンズ像もまさかここ昭和の地に二作揃って残っていることは知らないのではないでしょうか。
 純子さんのお話から、頌徳碑のブロンズ像は押原小学校の庭に設置されると聞き、「雨ざらしではかわいそう」と室内に置くべく笹野氏に同じものを注文して購入したそうです。「戦争中は、鍋釜まで供出しましたが、祖父が溶かされてしまうのは忍びないと床下に隠しておいたんです。そうそう、同じ木製台座のケース入りの裸婦像は、笹野先生が翌年に制作されたものということで、ふくよかで綺麗なのでおじいさんが喜ぶように向かい合って設置されましたから、二つとも笹野恵三作品です」と。
 純子さんの記憶力は、杉浦健造先生頌徳誌に記載されているとおりで、漢字一字の間違いもなく正確無比です。