2011年9月7日水曜日

杉浦醫院四方山話―76 『郡中十錦・余話』

  還暦を過ぎて、初めて知った言葉「郡中十錦(ぐんちゅうじっきん)」。調べながら、ふと中島みゆきの歌が頭をよぎりました。いつ、どこで、誰と聴いたのかもはっきり覚えていて、有線放送で流れてきた曲に思わず「これ誰の作詞?」とマスターに聞いたことまで覚えています。芸能ウオッチャーのマスターの言を信用すれば、「中島みゆきの作詞、作曲だ」ですが、「曲名は分からん」でしたので、正確でない場合はお許し願うとして、こんなフレーズで始まった曲でした。 『知らない言葉を 覚えるたびに 僕らは大人になっていく けれど最後まで 知らない言葉も きっとある・・』



 医者をしている友人と飲んでいて、彼が「医者なんて病名を告げるのが仕事。たとえ、誤診でも自信を持ってはっきり病名を告げる医者が名医。でも良く分からないことの方が多いんだから、断定できないで誠実に対応しようものならヤブだと・・」という話をきっかけに、「名前がないと存在もない」という抽象的な話に進み、「要は名前を付けて、分類することが文化、文明だという刷り込みが、文化国家の日本人には常識となり、病名を知って、どのランクの病気か推測して安心する為に医者に行く。病名もあいまい、分からないでは不安が増すということだね」「だから、あやふやな時は、風邪です!が無難になる。結果、あんなにたくさんの風邪薬が市販されているんだ」と云った話の時に『知らない言葉を 覚えるたびに 僕らは大人になっていく ・・』と流れてきたのでした。
しばし休憩と云った感じで聴き入って、「そうだよな。病名も言葉だから、その病名を知らない時は、そんな病気も存在しなのに、医者に診てもらって、知ることは不幸でもあるね」「そう、俺が言うのもおかしいけど、自覚症状もないのに健康診断まで受けて病気探しをしているのは、個人の幸、不幸とは別な意図の結果だよな」「知らない言葉をたくさん知っている大人が、知識人には相違ないけど知らないままの少年オヤジの方がいいかもな」「まあ、どんなに博学といっても俺の名前まで知っている訳ではないから、最後まで知らない言葉って、ホントたくさんあるんだろうなー」・・・と。中島みゆきに素直に従えば、この歳で「郡中十錦」の言葉と存在を知ったのは、僕は未だ大人になっていく途中であると・・・でも、知っていた言葉が出なくなった健忘症も顕著なので、僕は大人になる前に老人になっているということだろうか・・結論は、中島みゆきは哲学的で困るなーですかね?