2011年9月6日火曜日

杉浦醫院四方山話―75 『郡中十錦(ぐんちゅうじっきん)』

 純子さんから「お暇な時で結構ですから、(ぐんちゅうじっきん)について、調べていただけますか」と丁寧な声掛けをいただきました。「陶器」を持参いただきながらですから、焼き物に関する言葉だろうと予想はつきましたが、(ぐんちゅうじっきん)は初耳で、どんな漢字表記なのかも分かりませんでした。
 「八百竹さんに視ていただいた時、これは、(ぐんちゅうじっきん)だとおっしゃって、こう書いてくれました」と陶器の中から「郡中十錦」と書かれた紙片を見せてくれました。「十錦でじっきんと読むんですね」「その時、八百竹さんが詳しく説明してくださったと思うのですが、忘れてしまい申し訳ありません」「これは、鉢ですか?これが郡中十錦というお宝なんですね」「こんな田舎家にあるものですからたいしたものじゃないと思いますが・・・箱に揃いで五つありますから、どう云うモノなのか?」ということで、さっそく「郡中十錦」について調べ学習しました。
 関西より西の萩焼や備前焼は、比較的知られていますが、四国愛媛県には、砥部(とべ)焼があります。この砥部焼きはその名の通り、愛媛県伊予郡砥部町で、200年以上もの歴史をもつ伝統陶芸です。白磁に透き通った藍で絵付けされ、厚く頑固な実用的作品が一般によく見る砥部焼きで、讃岐うどんの器としてもこの砥部焼はよく用いられています。
 「伊予鉄道郡中線」という鉄道マニアでなければ知らない鉄道路線が、愛媛県には現在もあり、郡中港という港もありますから、「郡中十錦」の「郡中」は、砥部焼の地元伊予郡にある郡中という地名です。幕末から明治初年にかけて、伊予市郡中の小谷屋友九郎という作陶家が、清朝磁器を模して、砥部焼の素地に上絵付けを施したやきものを作り始めたそうです。友九郎が模したという中国清朝のやきものは、赤、緑、黄色などの釉薬を掛けた「十錦手」と呼ばれる焼き物で、「十錦手」とは中国清時代に流行した「多くの色を使用し塗り埋め方式で装飾」した焼き物の総称だそうです。
「九谷焼」に代表されるカラフルな磁器がもてはやされ江戸時代、この「十錦手」を日本で最初に模したのは、伊万里焼きで、江戸の富裕層に流行したことから、砥部焼にも友九郎がとり入れ、砥部焼と一線を画して「郡中十錦」と命名し、伊豫稲荷神社に奉納したことから「郡中十錦」は、砥部焼との差別化に成功し、現在では、美術館や博物館でしか観ることが出来ない貴重な陶芸作品となっています。確かに、砥部焼とは、まったく違う色鮮やかな「郡中十錦」は、模した中国の十錦手を上回る出来ばえと云われ、濃青、エメラルド、黄緑、赤など鮮やかな色彩が高い評価となっています。「横浜から嫁いだ祖母が持ってきたものだと思います」