2011年8月26日金曜日

杉浦醫院四方山話―70 『うちわ-1』

 「うちわの風もやさしくていいですね」と純子さんが「こんな古いものですが、手放せません」と杉浦家で愛用してきた「うちわ」と「うちわ置き」を持参してくれました。
「これは、望仙閣のうちわで、こちらが開峡楼のうちわだと思います」と<望仙閣(ぼうせんかく)><開峡楼(かいこうろう)>と云った今はなき甲府の老舗料亭の思い出も話してくれました。
 昭和20年7月の甲府空襲で、甲府市中心部は全焼し、城下町甲府の面影を残す歴史的建造物も大部分焼失し、その建物で営業していた数多くの料亭や旅館、温泉などは、廃業もしくは転業を余儀なくされ、戦後も既に60年以上を経過した現在、<望仙閣(ぼうせんかく)><開峡楼(かいこうろう)>の名前も知る人の方が少なくなってしまいました。同じように、再開された<甲府桜座>がある桜町から相生町、錦町一帯にかけては、料亭<三省楼>や<海洲温泉>があり、敷地300坪、本館総建坪80坪の集会場<舞鶴館>や戦後も甲府松菱として営業していた<松林軒百貨店>、温泉旅館<東洋館>など消えてしまったかつての甲府の象徴的な建物と老舗は、枚挙にいとまありません。
 その辺の古い資料を丹念に収集し、現在地とも対照しながら 山梨県に関わる興味深い近代史のあれこれを残す作業を継続している「峡陽文庫」のホームページは貴重です。当H・Pのリンクにもバナーがありますので、是非一度ご覧ください。
峡陽文庫にあるかつての甲府中心街の写真や資料を観るにつけ、戦争とはいえ甲府市内の建造物が焼きつくされた損失の大きさは、はかり知れません。それは、現在の松本市が松本城と歴史的建造物を活かしながら城下町として、品格ある街並みを形成し、魅力と活力のある地方都市として定着している現実が、甲府市の現状と対照的であることにも因ります。
 純子さんが、現在も愛用している「うちわ」と「うちわ置き」は、ご覧のとおりです。両老舗料亭のうちわが納まっているうちわ置きは、民芸品の域を超えた美術工芸品の趣があります。「祖母の代から使っていたそうですから、明治のものだと思います」という竹を編んだ見事な意匠のうちわ置きは、これだけでも一つの作品ですが、そこに白を基調にしたさりげない形とデザインのうちわが納まると風を通す網目も涼しげで何とも言えない風情が漂い、「日本の夏」と「日本人の感性」にあらためて思い至ります。