2011年7月22日金曜日

杉浦醫院四方山話―63 『ガラス医療機器』

 「甲府市三日町マルヤマ器械店」の金属製ステッカーが貼ってある医療器具が診察室に2台残っていることを四方山話16「私の城下町」で紹介しましたが、それを機に杉浦家と丸山家は、商売に関係なく親戚以上の親交が続いていたことを知りました。
 「マルヤマ器械店」の店主・丸山太一氏は甲府の文化人としても著名で、特に木喰上人の研究家として県内外での講演や著書も多数残されています。94歳の現在も自らの資料を後進に託したり、蓄積してある貴重な話を語り部として話してくれます。先日お邪魔した折、「私は、現在の山梨大学の工学部で電気を学び、照明関係の開発に携わっていましたが、家業を継ぐよう言われ、しかたなく継いだんです。その家業が嫌で満たされなくて、写真や木喰の研究もその反動で励んだ感じです」と率直に語り、「健造先生は、人力車で往診に来てくれましたが、車夫が二人で引いて来ました」「若松町の芸者をあげての杉浦家のホタル見会を父は毎年楽しみにしていました」「三郎先生に診てもらうとすぐ直ると母は杉浦先生にしか掛かりませんでした」と。
純子さんも「太一さんの妹のちとせさんが、昭和14年の3月に三日町見付の映画館に私を連れて行ってくれました。〈オーケストラの少女〉というミュージカルで、初めて観た洋画なので忘れません」「甲府高女に入った時もちとせさんが高女の先生の所に私を連れて紹介してくれました」「父も甲府に行くと三日町に寄るのを楽しみにしていました」「私たち姉妹の高女の保証人は、みんな丸山さんになっていただきました」「ちとせさんも妹さんもそりゃ美人で頭がよくって、父が仲人をして東芝の副社長さんになったちとせさん夫妻は、父も自慢でした」と。
「嫌だった家業を息子にやらせるのもと、私の代で廃業しました」と云うとおり太一氏の長男丸山公男君は、横浜在住です。高校の同級生でもある公男君から「親父はガラス以外の医療機器は全てベトナムの国立病院に寄贈したけど、倉庫にはまだ医療棚やガラス器具が残っているので、よかったら杉浦醫院に寄贈するから見に来ないか」と連絡をもらいました。公男君の帰甲に合わせ、三日町に伺い倉庫に入ると天井から吊るされている様々なガラス機器は見たことのないものばかりで、箱や棚には大小の薬瓶やフラスコ等々が溢れていました。「丸山君、これでマルヤマ器械店医療ガラス器具展示室が出来るね」と思わず、いただいたような気分で話すと「この倉庫も近く取り壊す予定なので、このガラス機器が杉浦さんの所で活きるなら、祖父や親父も喜ぶと思ってね」と。