2011年6月22日水曜日

杉浦醫院四方山話―55 『患者会』

 甲府市のみぞべこどもクリニック院長の溝部達子氏が、通院してない子どもに薬を処方したとして、保険医療機関指定取消と保険医登録取消の処分を受けたことに対し、国を提訴していた裁判で、6月15日、甲府地裁と東京高裁は、「社会通念上著しく妥当性を欠くことは明らかであり、裁量権の範囲を逸脱したものとして違法」と原告の訴えを認める判決を下しました。溝部氏は「患者と医療者の正義が認められたことに心から安堵する。」と談話を発表しています。この勝訴の背景には、みぞべこどもクリニックの存続を求める患者が中心になって「山梨の小児医療を考える会」が発足し、2万8千人以上の署名を集め、溝部氏復権を働きかけた支援活動も大きかったとあります。 
このニュースを聞いて、「杉浦医院患者会」が重なりました。昭和52年10月の三郎先生の逝去に際し、山梨日日新聞紙上にも「杉浦医院患者会」の名前で、先生の死亡を「おしらせ」する黒枠が残っています。純子さんも「患者会から死亡通知まで出していただいて、父は本当に医者冥利だったと思います」とその新聞を三郎先生の遺影の裏に納めています。また、昭和49年に三郎先生に日本医師会から最高優功賞が贈られましたが、198名の患者会の方々から、一人500円のお祝いが先生に届けられました。その寄贈者名簿の住所を見ると県下一円に患者会会員がいたことが分かります。「いい時代でした。患者会でバスを仕立てて身延山に行ったり、花見に行ったりと定期的にお楽しみ会があり、父は、お金だけ出して送り出していましたが、看護婦さんやお手伝いさんも楽しみにしていました」「晩年は、腰痛で、どっちが患者か分からないと逆に患者さんに揉んでもらっていました」と先生と患者さんの関係を懐かしそうに語ってくれました。 
 先日、「親父を連れて、よく通ったから・・」と旧甲西町から来館いただいたSさんは、応接室を見て「そうそう、俺たちは入口の待合室で待っていたけど患者会の幹部は、このソファーで待っていたなあー」と会員特典のあったことも話してくれました。「でも順番はちゃんと受付順だったから文句も出なかったなー」とも。  
溝部氏の無診察投薬も患者優先の医療からであることは、その金額や頻度からも察しがつきます。大人である私も、どうしても都合がつかず、薬だけ代理人にお願いすることがありましたから、その辺の事情を鑑みて、対処するのは社会通念上違法とは言え無いとする判決は、生身の人間である医者と患者の相互信頼は、人間が作った法律や規則だけに縛られないという、時代が変わっても不変の原則を全うした、真っ当なものと云えましょう。