2011年5月14日土曜日

杉浦醫院四方山話―44 『落書き考』

 落書きは、落書(らくしょ・おとしがき)を語源としたように、文字通り「人を落とす」為に、その人を揶揄したり風刺する内容を家の門や壁に貼ったり、わざと目に付く場所に「落とした」ことから、現在の「落書き」になったといわれています。
 杉浦醫院の玄関内外にも多くの「落書き」が残っていますが、この「落書」にあたる内容の「落書き」は皆無です。これは、杉浦医院玄関落書きの由来にも関係しているようです。
当時の杉浦医院は、庭先に近所の農家が、患者さんが帰りに買い求める野菜売り場を設けていたという程県内各地から押し寄せた患者さんで、六畳程の和室待合室は満杯だったといいます。いつの時代でもじっと待てないのが子どもですから、大人の患者で溢れていた待合室から外に出て、石や木片で土壁に魚を彫ったのが、始まりだそうです。
 夢中で壁に魚を彫っている子を見て、「先生、あの子が壁にいたずら書きをしてまーす」と言いつける現代語ではチクるのも子どもの世界の常ですが、経験による偏見では、女の子に多いと断言でき・・・ますが「昔は」を付けておきましょう。云いつけられた三郎先生は、「どれどれ」と玄関に出て、その絵を見て「上手に描けたなー」と描いた子の頭をなでたそうです。
それ以来、「杉浦医院の壁には何を書いてもいいんだ」という風評と共に至る所に落書きが広がったようです。子どもの落書き、それも上手な魚の絵から始まったという歴史が、落書きの内容にも影響しているのでしょう。
 中には「これは、間違いなく大人だな」という「花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ」と今もはっきり読み取れる二行が「無頼」と署名してあります。これは、井伏鱒二の『厄除け詩集』にある漢詩の名訳ですから、書いた患者は、井伏ファンの酒飲みで通院していた者と確定できます。



詩人于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句四行も井伏鱒二センセイの手に係ると・・
勧 君 金 屈 巵  この盃を受けてくれ 
満 酌 不 須 辞  どうぞなみなみつがしておくれ
花 発 多 風 雨  花に嵐のたとえもあるぞ
人 生 足 別 離  さよならだけが人生だ。  となり、

詩人 高適の「田家春望」もセンセイが訳すと・・  
田 門 何 所 見  家を出たれどもあてどもないが
春 色 満 平 蕉  正月気分がどこにも見えた
可 嘆 無 知 己  ところが、会いたい人もなく
高 陽 一 酒 徒  阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ。 と・・
「酒と女は群馬に限る」と云ったかどうか、県立文学館の井伏鱒二コーナーでどうぞ。