2011年4月20日水曜日

杉浦醫院四方山話―40 『玉井袈裟男氏の教育論・学習論』

「昭和町風土伝承館・杉浦醫院」は、昭和町の社会教育施設の一つとして、教育委員会生涯学習課が担当部署になっています。社会教育施設とは、公民館や図書館、資料館などの文化施設と温水プールや体育館、テニスコート等のスポーツ施設の総称で、住民の生涯学習には欠かせない公共施設です。「社会教育」とか「生涯学習」とか行政が使う用語は、どう違うのかも含め堅苦しく馴染めないと言った批判をよく耳にします。土の人に吹く「風」の玉井袈裟男先生は、土の人からのそういう批判も熟知して、分かりやすく的確に自分の言葉で話すことに徹底していた学者でした。そういう意味で「土」の学者でもありました。「教育」と「学習」についても次のように説明し、だから「学習」の方に価値があるのだと結論も出し惜しみしません。       

≪税金など払う気にならない人に、払わせるようにするのが教育。どうやってその税金の重さから逃れるかを学ぶのが学習≫と切り出し、≪教育とは、先生がいて、決められた予算と時間で、カリキュラムに従ってやるもの≫≪学習は、やるのは自分で、自分の金で、時間無制限でやるもの≫と具体的に、≪究極の成果は、教育は体制維持に働き、学習は体制批判に働く≫と見事なトドメを刺し、≪だから、国は教育には少し金を出し、たくさん口を出すのです。教育委員会は学校教育のことしか頭にありません。生涯学習は箱モノつくってやれば十分と・・・これが日本中の実態です≫と本当のことを静かに語るのが魅力でした。玉井先生は、地域に根を張り、ものを産み出す「土の人」に向かって、自らを「口だけのやらない風の人」と言いつつ、軽い風だからと率先してさまざまな学習グループをつくりました。定期的な学習活動を通して、その学習グループを地域づくりの実践部隊へとつなげていくある意味一番難しいモノをつくる「土」の人でした。信州各地にある「風土舎」というグループがその代表的な学習グループです。

下段左から2人目の玉井先生と学習グループ
 「東北学」とか「信州学」という地域学が誕生した背景には、必ず先人となる「風の人」がいます。信州の冬の厳寒と乾燥を逆手にとって「凍み豆腐」や「寒天」などの産業を起こした地理学者・三沢勝衛氏は、玉井先生が師と仰いでいた「風の人」でした。三沢氏の風土論を基に継承発展させた積み重ねが、「風」と「土」の学習活動の定着を産み、「地域学」を形成する一因にもなっているようです。「山梨学」や「甲州学」が成立しない背景の一つには、「学習より教育」といった県民性や風土もあるのかな・・・と