2011年3月2日水曜日

杉浦醫院四方山話―30 『永仁の壷-3』

青磁を極める-岡部嶺男展より
 真打・唐九郎氏登場前に唐九郎の長男・嶺男氏の存在を紹介しましょう。嶺男氏も既に他界していますが、嶺男氏の次女美喜氏が、「唐九郎との関係や、永仁の壺の事件については、あまりにも真実とかけ離れたことが語られている」として、「父・嶺男と祖父・唐九郎の真実をお伝えしたい」と嶺男陶瓷研究会ブログで発信しています。詳しくは、そちらをご覧いただくとして、58歳になる娘さんの「衝撃の告白」は、この事件を一層複雑かつ泥沼へと導くものですが、「どうしようもない人間の業」の実況中継でもあり、興味のある方には、外せない証言です。紙幅の関係で、彼女の証言概要を列記します。


*唐九郎作品は、土・釉薬・窯の全てを嶺男が研究開発し制作していた。嶺男の手による唐九郎作品は、営業の才に長けた唐九郎が、自作と偽って売っていた。当然、「永仁の壷」も嶺男が作ったものである。唐九郎は、『騙される方が悪いんだ』と当たり前。嶺男は、『言語道断、絶対に許せない背徳行為』と思っていたが、唐九郎は、『お前の偽骨董造りの過去を黙っていてやる』と嶺男を脅し続け、一家の生活の為もあって嶺男は、耐えていた。
*唐九郎は、『小山専門審議員に自分を何故、人間国宝に指定しないんだ』と迫っていたが、小山は、唐九郎より嶺男の才能と技術に惚れ込んでいたので、このまま放置すれば、小山は、嶺男を人間国宝に指定するだろうと私怨を抱き、永仁銘瓶子の重要文化財指定を画策するのと同時に、密かに、指定解除運動を起こさせた。
*「永仁の壷事件」の本質は、唐九郎が小山冨士夫を人間国宝の選定専門審議員の座から引きずり降ろそうと画策したもの。嶺男は、陶芸家をやめる決意で、唐九郎によって鎌倉時代の作とされ、小山冨士夫を陥れる道具として、自分の作品が使われたことを小山冨士夫に詫びた。
*ヒューマニストで心優しく、家族思いの嶺男は、自分の父親である唐九郎との断絶の道を自ら選び、真実を語り、作陶に専念する為、加藤姓を妻の岡部姓に変えた。
いやはや・・「親は子どもの成長を願い、大事にかわいがるもの」という近代家族思想も唐九郎・嶺男父子の前では色褪せますが、過去に遡れば「子は親に従属すべきもの、あるいは親の所有するもの」といった価値観も一般的で、親のために子を犠牲にする事もそれほど珍しい現象ではなかったのでしょう。それにしても孫まで巻き込む数世代闘争になるとは・・・流石の唐九郎氏も「想定外だった」かな?