2011年1月17日月曜日

杉浦醫院四方山話―20 『席書き大会』

 杉浦医院の待合室の柱に「本日ハ無醫村挺身診療ノタメ出張ニツキ休診イタシマス」と「日曜日ハ休診イタシマス 杉浦醫院」の木札の看板が残っています。昭和町源氏ホタル愛護会会長で、書家でもある若尾敏夫先生が「これは、保坂先生の字です」と教えてくれました。この保坂忠敬先生は、兄の忠信先生と独身時代、杉浦医院に下宿しながら、押原小学校に勤めていたそうです。若尾先生の小学校時代の担任だったということで、「先生の字は、すぐ分かります」と懐かしそうにエピソードを話してくれました。
 保坂先生は、習字教育に熱心で、「これは!と思う子を放課後残して特訓した」そうです。「私と純子さんの妹の郁子さんが同級で、保坂先生によく二人残されて、特訓を受けました。杉浦家のお嬢さんと一緒だということで、私は同級生の男子からよくからかわれました」「今で言う、イジメじゃないですが、二人はどうのこうのと・・・それが嫌でしたが、お陰で、私も書を続けています」と。「私は、そういうガキの先頭になって、はやし立てていた方でした」と笑い合いましたが、若尾先生の人柄そのままのクセのない綺麗な字は、やはり、少年時代からの仕込みがあってのことと納得しました。純子さんも「郁子は奇麗な字を書くとよく褒められていました。席書き大会の前は、よく遅くまで、保坂先生が教えてくれました」「保坂先生が居た時は、家の書き物は全部、保坂先生にお願いしていました」「東京に出て結婚されたのに早く亡くなられたようです」
 順子さんからすらっと出た「席書き大会」という言葉にハッとしました。「そんなに昔からあったのか」と。私の小学校時代の夏休みは「夏休みの友と自由研究」、冬休みは「冬休みの友と席書き大会」がセットで、楽しい休みを暗くしてくれました。このセットが未だ、続いていることも不思議でしたが、若尾先生の少年時代からあったことを知り、もっと驚きました。しかし、「主婦の友」のパクリでしょうが、「夏休みの友」とは、イヤラシイですね。いっそ「夏休みの敵」とでもしてくれれば、私にも親しみが沸き「先ず、敵をやっつけて」と意欲的に取り組んだかも知れません。少なくとも東京の学校では、この手の宿題は一切ありませんから、ひょっとして、このセットは、山梨県内だけのものでしょうか?それならそれで、十分歴史もあり、山梨の少年少女の長期休みの「伝承文化」?とも「伝統イジメ」?とも言えますね。この「友達」で、山梨県の小学生の学力が飛び抜けて高いといった話も聞きませんので、やはり、上からの「友」は、下々には「敵」でしかないように思いますが、みなさんは如何でしょう?